cyanpon の お気に召すまま

気の向くまま赴くまま

UI/UXデザインの会社に入社しました。

どうも、cyanpon です。

掲題の件で触れている通り、新たな新天地を
4月1日から迎える事が出来ました。わーわー。

株式会社オハコというスタートアップの創業メンバーに加わり、
事業戦略チームを発足させ、経営企画に従事しております。

これも一重に陰ながら見守って下さった妻、家族、両親の支えが
あってこそだと思います。本当にありがとう。

それと、色々とアドバイスや助言、会社をご紹介頂いた皆さま、
この場で御礼を申し上げます。感謝仕切れません。

此処まで来るのに、幾度か紆余曲折あったのですが、
端的に語るには時間を取り過ぎる為、敢えてポイントだけ抑えて
オハコにJOINするに至った経緯をお応えします。


1.初めは事業会社へシフトしようとした。

受託で食べていく苦労を身に染みて感じていた私は、
自社プロダクトやサービスで利益を立てている事業会社への転換を
本腰を入れて模索してました。

ところが、受託をやっていたディレクターが、
事業系の会社で活路を見出すには、かなりのリスクや重責を背負うことが
話しを聞いていく中で分かり始めました。

ひとつは、運用フェーズも含めてKPIの設定を回しながら改善し続けられるのか?という
忍耐力との戦いだということ。途中、飽きるかもしれないという怖さもあった。

二つめは、コミットできそうな事業と最後まで巡り合えれなかった。
最後は「何をするか」よりも「誰とやるか」を重視したのは言うまでもない。

三つめは、新規事業を創造する厳しさの中で、軸がブレないよう
ちゃんと最終的なゴールに向かって帆を進めていくのが真の役目だということ。

ビジネスを最大化させて、LTV(顧客生涯価値)を向上させていくには、
相当な労力を要することが再認識できた。

これらを鑑みても、受託のクライアントワークだけで案件を回していた
ディレクターが出る幕は正直、皆無に等しい。


一番のポイントは、自分のフィーリングにマッチする目ぼしい事業が無かったという事実。(呆然自失)


2.次にスタートアップの海外支援へ夢を膨らませた。

そこで、次は前職のシェアオフィスのオープニングセレモニーのイベントで
出張awaberなどの提供をして頂いた小笠原治さんの紹介で、
ハードウェア系スタートアップの投資支援を行うABBALabを進めてくれた。

昨今のメーカーズブームで勢いに乗るハード系ベンチャーの寝床として
DMM.make AKIBAもオープンし、人出不足は明白でした。

ただ、よく学びよく仕事しろとはいったもので、投資した会社からのリターンを得るには
最低10年間は余裕を持たないと、しっかりとしたマージンは期待できない。

なので、フルコミットが条件という分水嶺を起点として、
胃がよじれるほど最後まで考え抜きました。

最終的には、家庭や回りの環境、自分自身の体力と相談した結果、
そこまでの覚悟は出来ないと判断しました。


3.集中と選択。会社と共に成長する選択肢を選んだ。

決め手は、スタートアップを内側からコミットさせられるということ。

そうすることでお互いにWin-Winの関係を築くことができて、社会の為に
貢献できるような会社や事業、組織を作り上げたかったのです。

ある程度組織が出来あがっている会社では、ひとつの歯車として
受け身で仕事を淡々とこなしていくイメージしか湧きませんが、
そういう意味で言うと、自分でイニシアティブを握って、能動的に
率先して動いていくタイプの方が合っていました。

それが対価に見合った報酬であるとか、ワークライフバランスを考慮した
働き方が出来るのかとか、色々と他にも重視している部分もあります。

結局、『働き易さ』よりも、『働きがい』の方を選んだ感じでしょうか。


ビズリーチ経由で、トントン拍子に決まった一社と最後まで悩みました。
1~2週間、究極の選択というのはこの事をいうのかと思うぐらい。

「君に是非来てほしい。」と仰られ、美味しいランチをご馳走して頂いた
エンターモーションの佐竹さん、今でもその御恩、お気持ち忘れません。

こんな自分でも受け入れてくれる会社があるんだと思った瞬間だったんですが、
約束された組織の中で黙々と職務をこなすのと、会社を成長させていくフェーズで
JOINできる可能性を天秤に掛けた場合、勝ったのは後者でした。